大判例

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福岡高等裁判所 昭和47年(ネ)487号 判決 1973年3月13日

控訴人

吉川實

右訴訟代理人

水崎幸蔵

被控訴人

株式会社松屋

右代表者清算人

宮田勇

右訴訟代理人

岩田喜好

岡田尚明

主文

一、原判決を次のとおり変更する。

(一)  被控訴人は控訴人に対し金八三万六、〇〇〇円およびこれに対する昭和四五年三月一五日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

(二)  控訴人のその余の請求を棄却する。

(三)  被控訴人の反訴請求を棄却する。

二、訴訟費用は本訴反訴を通じ第一、二審とも被控訴人の負担とする。

三、控訴人において金三〇万円の担保を供するときは、本判決の第一項(一)に限り仮りに執行することができる。

事実

控訴代理人は、「(一)原判決を取り消す。(二)被控訴人は控訴人に対し金九三万六、〇〇〇円およびこれに対する昭和四五年三月一五日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。(三)被控訴人の反訴請求を棄却する。(四)訴訟費用は本訴反訴を通じ第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに第二項につき仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠の関係は、原判決二枚目裏一一行目から同三枚枚目表二行目までを

「3 これがため原告は左のとおり金九三万六、〇〇〇円の損害を受けた。

イ、本件建物の価格金三六三万六、〇〇〇円から火災保険金二五〇万円と敷金三〇万円の計金二八〇万円を控除した残金八三万六、〇〇〇円」

に改め、同表四行目に「損害金一三〇万円」とあるのを「損害金九三万六、〇〇〇円」に、同裏五行目、同一二行目および同四枚目裏二行目に各「仕末」とあるのをいずれも「始末」に訂正し、同表一二行目に「本件建物管理のため」とあるのを削除し、同裏一二行目に「曲型」とあるのを「典型」に、同五枚目裏八行目に「対等額」とあるのを「対当額」に各改め、控訴代理人において甲第四号証、第五号証の一、二、第六、第七号証を提出し、当審証人妹尾ヒサエの証言を援用し、被控訴代理人において当審証人橋本語の証言を援用し、前掲甲号各証の成立を認めたことを付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

理由

第一本訴請求について、

一控訴人が被控訴人に対し昭和四四年八月七日本件建物を期限一ケ年の約定で賃貸していたこと、ところが昭和四五年一月一二日午前二時ごろ本件建物が全焼し、被控訴人が本件建物を控訴人に返還することができなくなつたことは当事者間に争いがないので、右賃貸借契約における目的物の返還は全部履行不能となつたことが明らかであるところ、原審における鑑定人岡本新一の鑑定および控訴本人尋問の各結果によれば、控訴人は本件建物の焼失により被控訴人から本件建物の返還を受けることが不能となつたことによつて、本件建物の右焼失当時の時価相当の金三六三万六、〇〇〇円の損害を受け、控訴人の自認するとおり火災保険金二五〇万円、被控訴人から差し入れられていた敷金三〇万円を右損害の補填に充当し、結局控訴人は金八三万六、〇〇〇円の損害を受けた事事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。控訴人は火災跡の整地に要する人夫賃その他の費用として控訴人が支払つた金一〇万円も被控訴人の債務不履行による控訴人の損害であると主張するが、控訴人の前記支出が被控訴人が本件建物を返還しないことの債務不履行による損害となるいわれはないので、控訴人の右の主張は採用しない。

二ところで、履行不能の場合、債務者において履行不能の責任を免れるためには、不可抗力によることすなわち債務者の責に帰すべき事由に基づかないことを立証しなければならない(大審院大正一三年(オ)第五六九号、同一四年二月二七日判決、民集四巻三号九七頁参照)。そこで、本件履行不能につき、本件建物の賃借人であつた被控訴人に、その責に帰すべき事由が存したかどうかについて、以下検討を加える。

(一)  <証拠>を総合すれば、

(イ) 本件建物は建築後少なくとも一二年弱を経過し、途中一部増改築がなされた木造二階建であり、その北側に隣接して建築されている被控訴人所有の木造二階建事務所兼居宅(以下北側建物という。)および本件建物の東側に一軒隔てて隣接する被控訴人方縫製工場と一体として被控訴会社の福岡営業所として使用中であつたところ、本件建物の階下北東部の応接室、事務室または商品置場のいずれかから出火したがその出火原因については、その調査に当つた福岡市消防局も不明として処理しており、本件火災の出火原因は一切不明である。

(ロ) 被控訴人は大阪市に本店を置くワイシャツ類の製造販売を業とする株式会社であり、本件建物の東側一軒おいた隣に縫製工場を持ち、本件建物を控訴人から賃借して一階を応接間、セールスマン室、商品置場および車庫に、二階を倉庫におよび従業員寮に使用し、本件建物の北側に隣接して建築されている被控訴人所有の木造二階建建物の出入口を本件建物の応接室に接続させて右北側建物の一階を事務所、食堂、作業場に、二階を住みこみの約束で雇傭している訴外橋本語の宿舎に充てていたものである。被控訴会社福岡営業所は所長訴外清尾哲夫以下販売員、裁断工ら十数人が配置され、そのうち訴外中谷邦博、同中村喜久夫の両名は本件建物の二階を寮として使用を許されていたが、その他の従業員が臨時宿泊することもあつた。

(ハ) 本件建物および北側建物は販売員、裁断工等被控訴人方従業員と顧客が頻繁に出入りし、炊事、暖房、風呂等に相当の火気が使用され、屋内における喫煙等の機会も多く、屋内には可燃性の縫製品やその紙箱等も多数収納されていた。

(ニ) 訴外橋本語は妻と共に留守番兼雑役として被控訴人に雇われ、北側建物に居住し、倉庫の整理、商品の積み出し、掃除、戸締、火元の点検等の業務に服していたが、被控訴人から特に夜警として深夜定時に本件建物内を巡視することを命じられたものではなく、ただ留守番としての責任上、就寝前工場および本件建物内を巡視することにしているが、巡視後は北側建物の二階自室で就寝していた(訴外橋本語の妻も被控訴人から給料月一万円を支給されていたが、昭和四四年一一月ごろから娘の出産の加勢に出かけ、本件火災当時は不在であつた。)。

(ホ) 本件火災の日の前日昭和四五年一月一一日は日曜日であるが、前夜から臨時宿泊していた三人の従業員もおり、本社の常務や顧客の来訪もあつた。本件建物の二階に居住している従業員訴外中村喜久夫は平常どおりの業務に従事し、小倉に出張のあと午後六時ごろ帰宅し、夕食を外食ですませ、午後七時すぎから午後一一時ごろまで階下応接間で勉強の後、二階自室で就寝し、同じく二階に居住している従業員訴外中谷邦博は午前一〇時ごろ起床してまもなく麻雀屋に出かけ、同日午後一〇時半ごろ麻雀が終つたので、麻雀友達と食事をした後翌一二日午前〇時ごろ帰宅し、二階自室において午前一時四〇分ごろまでテレビをみた後就寝し(なお、同訴外人は喫煙家である。)その間訴外橋本は一一日午後六時ごろ来客たちの退社後掃除をすませ、灰皿やストーブの始末、戸締をし犬の運動をさせたあと犬をセールスマン室の机につないで夕食をし、同日午後一〇時ごろまで応接間で荷札つけなどに従業した後、午後一一時ごろ巡視の際異常を認めなかつたので北側建物二階の自室にもどり、訴外中村の入浴および就寝ならびに訴外中谷の帰宅を確認することなく就寝した(訴外中村の入浴した浴場は北側建物一階の北側部分に存在して本件火災とは関係ないこと明らかである。)。

以上のような事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(二)  以上の認定の事実によれば、本件火災の出火原因は不明であるけれども、その出火場所が被控訴人において賃借して占有していた本件建物の内部であつたことは動かしがたいところであるから、被控訴人が本件火災による履行不能の責をおぬがれるためには、被控訴人において善良なる管理責任を尽し右火災が不可抗力によるなど債務者の責に帰すべき事由に基づかないものであることを立証することを要することは前述のとおりであるところ、前記認定の事実の程度では、被控訴人が、本件賃借建物の管理について善良な管理者の注意義務を尽くし、本件火災が不可抗力に基づくものであることを肯認するに足りない。

尤も、前顕証人清尾哲夫の証言によれば、被控訴会社福岡営業所長訴外清尾哲夫は本件建物が古い建物であるところから平素同営業所として使用している本件建物内で勤務あるいは居住する従業員に対し火気について注意したばこは必ず灰皿に捨てるよう指導監督していたことが認められ、また前掲乙第三号証によれば、火災後の消防署の調査により本件建物内にあつた石油ストーブはいずれも消火の状態にあつたことが確認されていることが認められ、また訴外橋本語が本件火災が発生する約三時間前である一一日午後一一時ごろ本件建物内を巡視した際、同訴外人は異常を認めなかつたのですぐ就寝したことは前認定のとおりであるが、前認定のように本件建物が古い木造建物で屋内には可燃性の縫製品や紙箱などが多数格納されていたうえ、本件建物には被控訴会社従業員や顧客などが頻繁に出入りし、炊事、暖房、風呂等に相当の火気が使用され、屋内における喫煙等の機会も多かつたのであるから、本件建物に対する火災予防については平素特段の注意義務が要求されるものであつたところ、被控訴人において右注意義務を尽したことを肯認するに足る証拠はなく(前記認定の被控訴会社福岡営業所長訴外清尾哲夫の指導監督の程度でいまだその注意義務を尽したとはとうてい認められない。)、また前記訴外橋本語も妻と共に留守番兼雑役として被控訴人に雇われて北側建物に居住し、倉庫の整理、商品の積み出し、掃除、戸締り、火元の点検等の乗務に服していたが、被控訴人から特に夜警として深夜定時に本件建物内を巡視することを命ぜられていたものではなく、ただ留守番としての責任上、就寝前工場および本件建物内を巡視していたにすぎないことは前認定のとおりであるから、被控訴人が夜間の火災予防についても万全の配慮をしていたものとも認めがたく、また前認定のごとく右訴外橋本語が就寝後の翌一二日午前〇時ごろ麻雀後食事をして帰宅した訴外中谷邦博は喫煙家であるところ、同訴外人が帰宅後本件建物階下で喫煙しなかつたことを確認すべき資料はない(右帰宅後本件建物階下で喫煙しなかつたという前顕証人中谷邦博の証言はこれを裏付ける確証はなにもない。)。あるいは夜間外部からの侵入者による失火あるいは放火が考えられるとしても、かかる外部からの侵入者を許した被控訴人の善管義務違反の責は少なくともまぬがれないところである。

三そうすると本件火災による履行不能が被控訴人の責に帰すべき理由にもとづかないものであることについては、これを肯認するに足る証拠が充分でないから、この点に関する被控訴人の抗弁は失当であり、被控訴人は控訴人に対し本件履行不能によつて生じた控訴人の前記損害を賠償する義務がある。よつて控訴人の被控訴人に対する本訴請求中前記損害金八三万六、〇〇〇円とこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四五年三月一五日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるからこれを認容すべく、その余は失当として棄却すべきものである。

第二反訴について、

被控訴人が控訴人から本件建物を賃借するに当り、敷金三〇万円を控訴人に交付したこと、本件建物が昭和四五年一月一二日に火災により滅失し、控訴人と被控訴人間の本件建物賃貸借契約が終了したこと、本件敷金について、控訴人と被控訴人間に「天災または類焼により本件家屋が滅失したときは敷金は返還する。ただし賃借人の失火の場合はすべて賃借人の負担とする」旨の約定がなされていたことはいずれも当事者間に争いがない。そもそも敷金は、賃貸借終了時または賃借物返還時に賃借人に債務不履行がなければ全額を、不履行があれば延滞賃料、損害金を控除した残額を返還する約定のもとに敷金の所有権が賃借人から賃貸人に移転したものであつて、前に判示のとおり被控訴人は控訴人に対し本件賃借建物をその責に帰すべき事由により滅失させ、返還債務を不能ならしめたものであつて、よつて控訴人に生じた損害を賠償する義務があるところ、控訴人は本訴請求をなすに当りすでに本件敷金三〇万円を右損害金の一部に充当していること請求自体により明らかであるから、被控訴人に右敷金返還請求権が発生するいわれはなく、被控訴人の反訴請求は理由がないので棄却をまぬがれない。

第三よつて本訴ならびに反訴について当審と判断を異にした原判決は失当であるから、これを変更することとし訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条、九二条、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(松村利智 塩田駿一 境野剛)

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